「すみません。今日はこれから少し用事があるんです」

 わたしが申し訳なさそうに答えると、ヒューズさんは「デートか?」とからかうような素振りを見せた。それから、「良い人ができたら、俺にも絶対紹介しろよ」と付け加えて、後ろ手にひらひらと手を振って階段を上っていった。わたしはその後ろ姿に小さく頭を下げてから立ち上がった。今度こそ帰るぞという決意の下。






 なんだか少し疲れてしまった。とぼとぼ歩いていると、ヒューズさんから言われた"良い人"という言葉が頭のなかに蘇ってきた。まだ結婚とかそういうことを考えたことはなかったが、彼氏の一人や二人はほしいという気持ちはある。あ、うそです。贅沢は言わないので、神様一人でいいので素敵な人をわたしに連れてきてはくれませんか。
 思い返せば、今の職場に配属になってからも何人か良い雰囲気になった人はいたのだ。しかし、ことごとくあの黒髪の意地が悪い上司に邪魔されて駄目になってしまった。あの人はわたしの恋路の邪魔をするのが趣味なのだろうか。だんだんむかむかしてきて、ふと目に写った足元の石ころを蹴飛ばす。それはころころと地面を這いずりながら転がっていき、小さな段差に弾かれて、前を歩いていた人の足首にぶつかった。あ、やばい。

「すみません」

 駆け寄って頭を下げると、その人は確かめるような声音で「さん?」と言った。急に名前を呼ばれた驚きに、弾かれるように顔を上げると、そこにはあきれ顔のエドワードくんがいた。

「エドワードくん来てたの?ごめんね、足痛くない?」
「大丈夫。またあの無能に何かされたんだろ」
「え?いや、なんか大佐のこと思い出したら、こう、むしゃくしゃしてきて…」

 胸の前で拳を握って眉を顰めると、エドワードくんがとても5歳以上も年下とは思えないような大人っぽい苦笑の仕方をした。

さんってあいかわらず子供だよな」
「君に言われたくありませんー」
「俺はさんよりよほど大人だっつーの」

 そう言う彼は、先ほどよりずっと子供らしい笑みを浮かべていたので、不思議と胸が温かくなった。彼にはいつもこんな顔をしていてほしい。

「そういえば、こんなところで何してんの?」
「色々ありまして…」
「ふーん?」

 本当のことを言ったら確実に笑われるなと、下手なごまかし方をしたが、エドワードくんは見透かすように目を細めた。これ以上突っ込まれる前に話題を変えなければ!

「エドワードくんこそ、こんなところで何してるの?」
「俺?いや、俺のことは別にいいじゃん」
「何それ」

 エドワードくんがわずかにうつむいて、ごまかすように頭をかいた。きれいに結われたみつあみが揺れる。

 エドワードくんのなかには、大人になりたい彼と、本当は子供の彼がいて、いつも目まぐるしく入れ替わる。わたしはそれを見ながら、何もできない自分にちくりと胸を痛めることしかできない。わたしには弟はいないが、いたらこんな感じなんだろうか。背伸びする彼の頭を撫でて、少しの間だけでもありのままの自分を受け入れさせてあげたい。
 大佐はわたしがエドワードくんと仲良くすることにあまり良い顔をしないが、彼には関係のないことだ。いつも邪魔してくる彼を思い出し、また苦い味が口のなかに広がった。多分彼はわたしの人間関係全般に口を出すのが好きなんだな。意地が悪い。


「あ!わたしに何かくれるんでしょ?」
「大佐に用でもあったの?」