とりあえず扉の向こうの人には申し訳ないけれど待ってもらうとして。わたしは上げかけていた受話器を手にとった。

「もしもし」
『やあ』

 聞きなれた声に脱力してしまう。

「大佐、どうしたんですか?」
『用がなければ恋人に電話をかけてはいけないのか』
「"恋人"ならいいんじゃないですかね」
『では問題ないな』

 この人の自分勝手さにはいつも驚かされてばかりだ。絶句したわたしへ向けてだろうが、大佐が小さく息を立てて笑っているのが、受話器越しにもはっきりと聞こえてくる。

「用がないなら切りますよ」
『デートの相手を待たすと悪いからか』
「はい?」
『昼間、君が中尉に言われていたじゃないか』
「まさか本気にしたんですか」

 向こうで息を飲む気配がして、今度はわたしが声を立てて笑った。電話だから表情までは読み取れないけれど、きっと大佐はいまものすごく悔し気な顔をしているはずだ。想像するとおかしさがあとからあとから込み上げてくる。大佐は「笑うな」といつもよりかはいくらか低い声ですごんできたが、わたしはひとしきり笑うのをやめられなかった。やっと笑いが収まった頃には、受話器の向こうはずいぶんと静かになっていた。
 「大佐?」と呼びかけてみても無反応だ。それから少し待ってみたが、ぶつりと回線が切れる音がして、つーつーという電子音が続く。
 これはずいぶんと怒らせてしまったかもしれない。しかし今さら弁解しようにも、彼がどこから電話をかけてきたのかも分からないし、電話の向こう側の環境音からして、職場からではない気がした。まあいいか、明日謝れば。無理やり自分を納得させるように頷く。

 またドアチャイムが鳴った。先ほどと違って繰り返し鳴らされる。大佐と会話していた時間と自分が笑っていた時間、それから諦めた時間を全て足し込むと、前に鳴らされた相手と同じ相手とは思えない。もしそうなら、待たせ過ぎた。

 ばたばたと駆け足で玄関まで向かい、カギを開けた。するとわたしがドアノブに手をかけるまでもなく、扉が開いた。隙間から見えた黒髪に嫌な予感がしてドアを閉めようとしたが、扉の向こうの人物がわたしの想像通りならば、力で敵う相手ではない。

「君は良い度胸をしているな」
「何の話でしょうか」
「まあいい。ゆっくり話そうか」
「全然良くないです!というか当然のように入ってこようとしないでくださいよ!」

 平然と、まるで毎日のルーティンワークみたいに、大佐が玄関のなかに入り込んでくる。何度も押し返そうとしたのに、びくともしなかったのだ。

「今日はホワイトデーだろう」
「それに何の関係があるんでしょうか?とりあえず帰ってください」
「君にプレゼントを渡しに来たんだ」
「明日で結構ですから、帰ってください」
「今日渡さなければ意味がないからね」
「いえ、お気になさらず。帰ってください」
「それに、」

 大佐が一度言葉を切って、にこりと微笑んでわたしを見る。背筋にぞわりと何かが伝う。

「態度のなっていない部下には、上司の指導が必要だと思ってね」

 そう言う大佐の目は笑っていない。さらに笑みを深めて歩み寄ってくる彼に、わたしは後ずさりした。じりじりと追い詰められて、背中はすぐに玄関の壁にたどり着いた。

「ほしいかい?私からの贈り物が」

 大佐がわたしの手をとって、その甲をゆっくりと唇で捕まえた。わたしの手の甲に口づけたまま、上目遣いにわたしの目を大佐の目が捉える。射貫かれるようなその視線に、思考回路はほとんど動きをやめてしまったみたいだった。

 しかし、次の瞬間、玄関のドアが開いて、その角が大佐の背骨を直撃した。ゴンという鈍い音が響く。ドアノブをしっかり握って立ち尽くしているのは、明らかにまずいという顔で青ざめているハボックだった。彼がくわえていた煙草が床に落ちる。その向こう側には、にっこりと微笑む中尉と笑いをこらえている中佐の姿があった。
 まずいよな?とハボックが声に出さずに口パクでわたしに問いかける。けれどこの状況は"まずい"なんて簡単な言葉で片付けられるものじゃないと思う。静かに首を横に振ると、ハボックはさらに顔を青くした。

、少し待っていてくれ」

 背中を押さえながら大佐が顔を上げた。その目は少し涙目だったような気がする。
 大佐はポケットからいつもの白いものを取り出すと、手にしっかりとはめてからもう一度わたしの手の甲に口づけをおとした。それから身をくるりと翻し、はたと目が合ったハボックに、大佐はきっと満面の笑みを浮かべていたのだろうと思う。

「ご、誤解なんスよ、大佐」
「寝言は眠っている間にしか許されんものだ、ハボック」

 おとなしく成仏したまえ、と大佐が呟いた。弾かれるように走り出したハボックの背を、赤い炎がまるで意思を持った生き物のように追っていく様が見えた。


END.08 | いつもの(ロイ+α)

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