夢を、見ていた。
 目のまえで、大切に幾年もかけて築き上げてきた何かがはらはらとくずれ折れていくのを、ただしずかにながめている。静寂があたりを包み込んでいて、わたしは手足の感覚を失い、くらやみのなかをたゆたっている。

「…主?」

 幼なじみが結婚するという。
 近侍から渡された、美しく白いはがきに書かれた文字を、ゆっくりとなでた。ゆびさきにちいさな痛みが走り、血が流れ出していったような気がしたのに、はがきは白いまま。汚れのひとつもなく、ただ見覚えのあるなつかしい文字が並ぶだけだった。

 3つ上の幼なじみ。兄妹同然の距離で育ったけれど、わたしは一度も彼を"兄"と思ったことはなかった。たとえば、彼にとってのわたしが、"妹"以外のなにものでもなかったとしても。
 屈託のない文字が、しあわせそうな彼のほほえみを思い出させ、わたしの胸をつよくえぐる。噴き出す血は赤くはない。透明で、わたしの気持ちと、わたしたちの思い出がちいさな泡に包まれながら波にのまれていく。
 憎からず、思っていた。いや、本当は、つよく――。

「主、――何か悪い知らせですか?」

 わたしのもっとも忠実なるしもべ。
 そうはっきりと告げても、怒ることもしないであろうこのひとは、はがきを渡した自分自身すらも責めるように、くやしげに眉間にしわを寄せている。ほの暗く生ぬるい液体が、わたしの内からどろりとこぼれた。

 わたしが審神者に選ばれたと知ったときも、彼はくもりのひとつも見当たらない顔で、誇らしげに頬をほころばせた。その時点で、いつかこうなることは予想できていたはずだった。それでも、たまに便りを送れば、一も二もなく返事がとどく。どこかで、そんな関係がいつまでも続くのではないかと期待していたのである。幼い、わたしは。
 彼はわたしの気持ちを知らない。おそらく、いやきっと知らないのだ。

 けれども、わたしはこのひとの思いを知ってしまった。
 あいまいな、ぼんやりとした熱のこもったひとみが、わたしのなかに少しずつ蓄積して腐っていく。

「幼なじみが結婚するみたい。わたしの好きなひと。……あ、好きだったひと、かな」

 長谷部が息をのんだ。泣き声が聞こえた気がしたけれど、長谷部はふしぎに凪いだひとみをしていた。いたわるような、慈しむようなその視線に、今度こそわたしは鮮血をまき散らした。
 長谷部はそれを親指でていねいに拭ってから、かすかにほほえんだような気がした。

 傷つけたかった。傷ついた彼を見ると安心した。わたしが、わたしだけが不毛な思いを抱いているわけではないと。もっと哀れな存在がいるのだと、そう思うことだけが、わたしのぼろぼろの心に唯一効くくすりだったのだ。

「泣かないでください、主。あなたに泣かれることなど――」

 耐えられない。そう言う長谷部の声は、切なくかすれていた。
 透明な液体。わたしの気持ちと、あのひととの思い出をくるんだ泡。おおきな流れ。逆らうことをゆるさないはげしい律動。

 まぼろしのような景色のなかで、長谷部は傷だらけのかすかにゆがんだ笑みをうかべながら、わたしの頬に口づけを落とした。

「あんたのことが大嫌いだったのよ」

 わたしとよく似た、まったく違うかなしいひとみ。

 乱暴に、うちつけるみたいに長谷部の胸にあたまをあずけた。にぶい痛みとともに、一度だけわずかに視界がゆれた。けれどもすぐに鏡のようにしずかな水面が見える。長谷部はじっと息を殺しているようだった。
 何度か深呼吸をすると、腐敗した思いも吐き出されていったみたいだった。ただつむじだけが、じりじりと熱を帯びている。

 そんな、白昼夢を見た。


副題 / ソーダ水越しの景色
フリーワンライ企画さま(@freedom_1write)より

(2016.04.09)


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