世界がぐるぐると回り出した。右回りだか左回りだか分からない。規則性のない世界は、はしからぐにゃりと歪んでいく。
 どうしたもんかと思案する間もなく、ふらふらと体が揺れ出した。よろけながら辛うじて自分の席に座りこんだが、手に持っていたカバンは力なく滑り落ち、教室の床にどかりと突っ伏した。いまの俺とそっくりである。
 どうやら熱を出したらしい。しかも急にだ。確かに今日はからだがだるくて、ただひたすらにやる気の出ない一日だった。そんな日に日直なんかに当たり、なおかつペアとなる女子が風邪で休みだという。なんとも冴えない一日だったのだ。

「あれ?花井、まだ残ってたの?」

 扉の開く音がした。丁寧な動作で開かれているに違いないのに、いまの俺にはそれすら頭に響く。靄のかかる脳内で考える。この声は、この声は――。

「大丈夫?」

 静かに足音が近づいてきて、突っ伏した頭の向こうから聞き覚えのある声が降ってきた。ゆるゆると顔を上げると、の顔が見えた。彼女はブラスバンド部に入っていて、楽器は何をやっていたか忘れたが、たぶんまだ部活中のはずだ。

「何で、ここに?」
「忘れ物。というか、花井、顔色おかしいよ?」
「そうか」
「そうか、じゃなくて、大丈夫?」

 荒い呼吸に意識ごと流されそうになるのを、なんとか繋ぎとめる。瞼が落ちてきて、もう一度あたまが下がる前に、ひんやりとしたやわらかいものが額にふれた。薄目で見やると、が驚いたように目を見開いている。

「すごい熱!」
「ん、」
「花井、帰ろう」
「おー…」
「ちょっと待ってて!」

 そう言うと、は目にも止まらぬ早さ(いまの俺には本当にそう感じられた)で駆け出した。俺はその背を見送りながら、一度意識を手放したが、すぐに二人分のカバンを手にしたに揺り起こされた。体感ではついさっきに感じられたが、たぶん本当にそうなのだろう。うっすらと彼女の額に汗がにじんでいた。

「立てる?」
「…たぶん」
「手、」

 カバンを持つ手の反対を差し出された。ゆるく首を振ったが、はそれを許さなかった。ひんやりとやわらかい手が俺の熱いそれを掴み引き上げる。バランスを崩しよろめきそうになったが、彼女は小さいからだのどこにそんな力があるのか、俺の腕を自分の肩に乗せると、わき腹に手を回し、なかば背負うような恰好になった。
 おぼつかない足取りで二人で歩いた。二人三脚のような気分だった。しかし、校門を出たところで、そういえば帰り道が違うのではないかと気が付いた。

「ここで、」
「は?」
「いい。帰れる、から」
「…説得力ゼロだから」

 の腕を振りほどこうとしたが、思いのほか弱弱しい力しか出てこない。が深いため息をついた。

「病人は余計なこと考えなくていいの」

 斜め下から飛んできた鋭い光に、俺は口をつぐんだ。
 まるで千鳥足状態だったが、なんとか歩みを進めながらを盗み見た。こめかみに線を描く汗が、夕日を反射してオレンジに光った。紅潮する頬も、白い額も、オレンジに染まりながら揺らめいた。俺の荒い息に飲み込まれるように、彼女も息を弾ませていた。
 けれども、しっかりと前を向きながら、俺よりも一回りは小さいからだは、ただ強く歩みを進めていた。何かに突き動かされるようなその瞳を、とても美しいと思った。幾重にも重なりあう頭のなかで、俺は確かにそう思ったのだ。


(2016.04.05)


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