ここに来てから色々なことが出来るようになった。主に審神者としての務め。一方で未だに出来ないことも多い。その一つが料理だった。刀剣たちは戦以外は、割と何でも自分たちの中で決まり事を作った上で生活している。特に家の雑事全般は、出来る限り審神者である私を巻き込まないよう努めているらしいことが見てとれた。皆は私を「主」として扱ってくれるが、私にとっては神様たちに身の回りの全てを押し付けているようで(事実そうだし)、ばつが悪かった。
 とはいえ、ここに来る前はのほほんと実家暮らしをしていて、母親におんぶにだっこ状態だった私は、いくら贔屓目に見ても家事能力が高いとは言えない。このままでは、「私に任せて!」なんてとても言えないので、出来れば"修行"したいと思っているのだが、彼らは決してそれを許さなかった。頭の固い長谷部くんはともかく、柔和な光忠さんにすら、食事当番の申し出は毎度無下に断られている。それで私は、こんな深夜に炊事場へ忍び込んでいるのだ。

 部屋から持ち出してきたテーブルライトをつけた。皆寝静まっているはずだから、電気をつけても問題ないとは思ったが、見つかるリスクを最大限に削ることにした。気分は夜戦だ。ライトを中心にぼんやりとした暖色の光が円形に広がっていく。それを目で追っていると、調理台に並べられた下ごしらえ済みの食材たちが照らし出された。多分朝食用だろう。几帳面に切りそろえられた野菜たちの見事な仕事っぷりは、長谷部くんのものだろうか。女子力(というよりは主婦力?)の高さに妬ける。
 作業スペースを確保するために、極力音を立てないようにそれらが乗せられている器を隅に寄せた。保存庫の奥から昼間こっそり隠しておいたたまごとパンを取り出し、そろりそろりと慎重に棚から鍋を出した。鍋にたまごを入れ、それらに水をかぶせて火にかける。コンロの火がボッと音を立てて火花を散らす。その音は、静まり返った室内に思ったより響いたため、慌ててきょろきょろと辺りを伺ったが、人影はない。少しびくびくしすぎかもしれない。苦い笑みが込みあがってきた。

 以前、光忠さんの作ったたまごサンドを、御手杵はすごい勢いで平らげていた。まるで子供みたいに口の端にマヨネーズをつけて、おいしそうに頬張る姿がまた見たいと思った。私がこっそり作ったたまごサンドを、私が作ったんだよ、と御手杵に渡したら、彼はどんな顔をするだろうか。想像すると、自然と笑みがこぼれた。ただそれだけだ。それだけ。

 鍋のフタががたがたと揺れ出し、浮き上がった先からぶくぶくと泡が漏れてきた。五徳に触れてじゅわっと蒸発していく。慌ててフタに手を伸ばすと、熱くなった部分に触れてしまい、フタを落としてしまった。がしゃんと大きな音がして、咄嗟に耳を塞ぐ。耳に触れた指先が熱い。
「何やってんだ」
 入り口の方から声が掛かる。まずいことになった。どう言い逃れをしようか考えながら、ゆっくり視線を移動させると、そこには御手杵がいた。二つの意味を持って、心臓が跳ねる。
「眠れないの?」
「違う。お前が出ていくのが見えたから」
 最初から見られていたのか。やはり電気を点けていなくて良かった。オレンジがかったテーブルライトの光では、羞恥で赤く染まった顔を彼に気づかれることはないだろう。
「冷やさねえと」
 ずかずかと近寄ってきた御手杵は私の手をとると、蛇口をひねり流水にあてた。火照った指先に小さな痛みが走って、火傷をしていたことを思い出す。「しょうがねえなぁ」といつもの間延びした感じの声が、いつもより近い位置から降ってきて、心臓が痛いくらいに早鐘を打つ。「大丈夫」と、片手で彼の胸を押し返したが、びくともせずされるがままになった。私の体を包み込んだまま、彼の片手がコンロに伸びて、ぐらぐらと沸騰し続けていた鍋はようやく鎮まることができたようだった。目をやると、たまごにひび割れが起きていた。
「何でこんな時間に」
「練習、したくて」
 料理の。御手杵がふふっと息を漏らした。髪にかかってくすぐったい。
「たまごサンド?」
「うん」
「こんな時間に食うと太るぞ」
「人にあげるの」
「誰に?」
「…秘密」
 さらりと、「あんた」って言ってしまえば良かったかもしれない。そんなに深い意味はないのだから。近侍の御手杵に日頃の御礼として渡すつもりだったのだから。そう思っていたのに、唇は別の言葉を紡いでいた。御手杵の私の手を掴む強さが、かすかに強まった気がした。
「やだ」
「へ?」
「俺にくれよ。他の奴にやるのはだめ」
「何で?」
「俺がやだから」
 子供みたいな言い草。口の端を汚しながらたまごサンドを頬張る姿が瞼に蘇って、私は声を立てて笑った。腕のなかで震える私を、御手杵はどう思ったのか。もう片方の腕を肩に回し、私の肩口に額をつけた。髪の毛が首筋に当たって、うなじがぞわりと粟立つ。
「御手杵にあげようと思ったんだよ」
「知ってる」
「たまごサンド好き?」
「好き」
 が好きだ。
 首筋に柔らかいものが当たったのが分かって、内からざわめきがとめどなく押し寄せてきた。
 御手杵はずるい。彼を前にすると、私はいつも弱り切ってしまう。こうやってありのままの言葉をぶつけてきて、まっすぐに私を見透かしているよう。皆が意識している、私も意識せざるを得ない"主従関係"とかいうやつを、その長い脚で一足飛びに軽々と越えてくるのだ。
「知ってる」
 強がりを込めて言うと、はぁと熱い息が首筋にかけられ、また口づけを落とされた。離れがたいように唇をくっつけたまま、御手杵が「なんか腹減ったなぁ」と呟いた。

(2016.03.12)



material by 鯨のまにまに

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