「何で分かったんだと思う?」

この恋は気づかれてはいけない。そう思っていた。ずっと。
みんなと平等に、見つめる時間も気配りの重さも、選手全員に同じだけ。そうして一年と少しの間をともに過ごしたのに、島崎は全部を見透かすような目でそう言った。




高校最後の夏は予想外の終わりを迎え、二年と少しの間付き合ってきた「野球部マネージャー」としての私とさよならして、もうすぐ一ヶ月が経とうとしていた。
悔し涙とともにそれぞれの決意を胸に改めて宿した選手たちを尻目に、私は未だに自分の胸の内を整理することができない。

精いっぱい頑張った選手たちに負けないくらいの悔しさと、彼らに対する感謝と尊敬の思い。そう感じる自分自身のことをどこかから寒々とした気持ちで見つめる自分がいる気がしていた。散らかったままの自分の内側から目を逸らすように受験勉強に励んだら、皮肉なことに結果は上々。担任は「一つ上のランクのところも狙えるよ」なんて顔を綻ばせた。

最後の部活の日。今日で引退する三年生たちは、何かの儀式みたいにグラウンドに一列に並んでいた。それは本当に儀式とも呼べるもので、恒例の行事だった。一年前、一つ上の先輩も今日の私と同じようにグラウンドに立っていた。彼女の前に立って、色紙と花束を渡したことを思い出した。彼女は泣くのを必死で堪えているみたいに口元を震わせながら笑っていたけれど、すぐにその薄く曇った瞳から涙が零れ落ちたのは必然だったように思う。私も今日、あの日の彼女と同じように泣くのかもしれない。

そんな記憶もあって、私の贈呈式の担当者はきっと一つ下のマネージャーの後輩がやってくれるものだと思い込んでいた。でも、その予想はあっさり裏切られ、私の前に立っていたのは高瀬くんだった。驚きと戸惑いが混ざり合って、それに少しの緊張が加わる。
その日は風が強くて、頭の後ろで高く結んだ髪の毛がばさばさと音を立て続けていた。耳障りなその音と、自分の鼓動の音。区別がつかないくらいどちらもうるさくて、叫び出したいような気になった。

高瀬くんはそんな私には気付いていないようだったから、私はうまく笑えていたらしい。にっと笑った彼から、色紙と花束を渡される。花束を受け取る瞬間、少しだけ触れた指先が熱を持った。色とりどりのペンでメッセージが描かれた色紙は、花束より華やかに見えた。

「いつでも来てくださいよ。あいつらじゃ頼りないんで」
「またそういう意地の悪いこと言う」
「すみません」
「仲良くしなね」
「なんすか、母親みたいに」
「いやー、実際母親みたいな心境だもん」

冗談めかしにおどけて肩を落とすと、高瀬くんは声をあげて笑った。よかった、私は普通にできてる。いつもの「さん」だ。
頭の後ろでは、まだ髪の毛が風に弄ばれていたけれど、心臓はいくらか落ち着いたようだった。

「いや、でもほんと、受験とかの邪魔にならない程度に見に来て下さいよ」
「はいはい」
「なんつーか・・・いつもさんがいた場所が、ずっと空白なのは嫌なので」

高瀬くんはそう言って、照れたように私から目をそらした。ああ、どうしよう、私、きっと泣いてしまう。私も高瀬くんの真似をして、彼から目をそらして空を仰ぎ見た。
第一志望の大学は、こないだの模試でB判定だったからもう少し頑張らないと。そういえば今日はお母さんがカレーだって言ってたな。気を紛らせたくて、必死で関係のないことばかり考えていた。

、全然部活来ねえじゃん」
「んー。なんか、なんだかんだ忙しくて」
「『さん』は冷てえなー。準太も寂しいっつってんぞ」

準太。その言葉にぎくりとして顔を上げると、島崎が「やっとこっち向いたな」と口の端を上げた。なんだかそれが少しだけ寂しそうに見えて、ずっと島崎を見ずに問題集に目を落としていたことに罪悪感を覚えさせられた。シャーペンを置いて、前の席の椅子に行儀悪く跨っている彼に目を合わせた。

「島崎はまだ結構顔出してんの?」
「まあな。引退後の後輩シゴキは三年のギムだしな」
「あんたはただ単に勉強したくないだけじゃないの」

疑問符もつけずに言って、目を細めながら彼を見る。島崎はもう一度「まあな」と言って、くちびるを尖らせた。不服そうな顔。たまに見せるこの顔は、島崎の顔のなかでは結構好きな方だ。部活中には汗で額に張り付いていた髪の毛が、いまは触り心地が良さそうにふわふわしている。

「そんなに勉強忙しいの?」
「ん」

半分本当で、半分嘘。一つ上のランクのところを目指さなきゃ、もう少しペースを落としてもいい。でも本当のことは言うつもりない。
島崎が窓の外を見る。グラウンドで野球部がノックの練習をしている。カキンと聞きなれた音が幾度も木霊して、白球が夕日を反射してきらきら光って見えた。

「いつもここで勉強してんの?」
「うん、大体。家帰ると遊び道具多いしさ」
「ふうん」

含みのある言い方。不意に島崎が私の方に向き直って、じっと目を合わせてきた。居心地が悪くて目を逸らしたいのに、なぜだか逸らしちゃいけないような気がした。まだ下がりきらない気温のせいか、じとっと嫌な汗が背中に伝うのを感じた。

「ここからだと野球部が見えるから?」
「は?」
さ、準太のこと好きだろ」

島崎の意を決したような声。がんっと頭を何かで殴られたような気がした。
気づかれてはいけないと。ずっとそう思って、ずっとうまく隠しているつもりだった。差別も贔屓もしたつもりない。島崎が気づいたということは、他の部員も気づいていたのか。気付いていて、私の贈呈式を高瀬くんにやらせたのか。望みのない恋の手向けに?
ずぶずぶと底なし沼にはまっていくように、思考が薄暗い方へと引っ張られる。なんで。どうして。どうしたらいい。みんなにこれからどういう顔して会えば・・・。

パンっと、目の前で大きな音がしてはっとした。島崎が顔の前で手のひらを合わせて、「ごめんなさい」のポーズをしている。

「急に悪かった」

酷く弱弱しい声。もしかしたらさっきの言葉は、それほど確信を持って口に出したものではなかったのかもしれない。すっかり肩を落とした彼を見て、私は漠然とそう思った。
そのままぼんやり彼を眺めていると、俺以外には気づいてないと思うとか、もちろん準太も気づいてないとか、ちょっと聞いてみたくてとか、そんなに驚くとは思わなかったとか。島崎は矢継ぎ早に言い訳のような、慰めのようなセリフをいくつも並べ立てた。

「もう、いいから」

叱られた子供のようにしょんぼりする島崎に、少しの同情とおかしさが込み上げた。

「でも、何で気づいたの?わたしの全力の演技」

精いっぱい嫌味っぽく笑って言う。島崎は困ったような顔をした。

「何で分かったんだと思う?」

まっすぐな目。少し熱っぽい視線に中てられて、息を飲む。

「お前が準太を好きなように、俺がを好きだからだよ」

ばかめ。
島崎は静かにそう言って、また窓の外を見つめた。私は呆然と彼の横顔を眺めた。夕日に照らされたその顔は、部活中のそれとも、教室のそれとも違っていて、多分私は初めて見たんだと思う。眉尻の下がった、情けない顔。でも不思議とすっきりと晴れやかにも見える。
嫌いじゃない。そう思った。





恰好悪い島崎くんもたまにはいいんではないかと(2016.02.08)



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