すごい音で蝉が鳴く。それはもはや声とは呼べそうもなくて、耳をつんざくようで頭が痛い。こめかみを強く押さえて、ぎゅっと目を瞑ると、深く深くどこかへ潜っていくような気がした。

ざぶん。

目を開けると、準太が水のなかから顔を出していて、プールサイドの私に向けて、大丈夫か、と言った。ゴーグルをつけたまま言うから、彼がどんな目でそれを言ったのか分からなかった。でも、私は理由もなく、きっと優しい目をしてる。そう思った。少し息を吸う。

「大丈夫か?」

準太がゴーグルを外しながら、もう一度そう言った。その目は予想通り温かいもので、私は深く深く呼吸ができた。ただ、ゴーグルを外した彼の顔には、くっきりとその跡がついていて、まるでパンダみたいに間抜けだ。私は笑いを堪えながら視線を逸らす。

「大丈夫」

せりあがる笑いをぐっと飲みこんで、言う。彼は不思議そうな顔をしながら軽く頷き、じゃあもうちょいな、と言って、また水の中へ消えていく。途端に寂しくなって、私は聞こえない程度の大きさで彼の名前を呼んだ。準太。けれどもその声は、思いのほか小さすぎたみたいだ。私の耳にすら届かず、蝉の音に飲み込まれてしまった。

目の前の水のなかで、準太の影がゆらゆら揺れながら移動していく。彼はとても速く泳ぐわけでも、美しく泳ぐわけでもなかったが、とても楽しそうに泳ぐ。私はそれを見ているのがとても好きで、同時に苦しくなるくらい羨ましかった。
準太は、水の中でも、陸の上でも、上手に呼吸する。

手で日よけをつくりながら、プールサイドの日陰から空を仰ぎ見ると、太陽が真上から少し傾き始めているのが分かった。あ、おなか空いたなあ。そう思って胃のあたりをさすると、彼女は返事をするようにぐうと唸った。気を紛らわそうと水際まで歩き、水に手を浸す。ひらひらと準太に手を振るように、水の中で弧を描く。すると、それが見えたのか、水の中の影が近づいてきて、私の手をそっと掴んだ。

ざぶん。

「やっぱ腹減ったな」

真っ黒な影から、少し日に焼けた少年が現れた。彼の手に包まれた自分の手を見て、なんだかチョコパンのなかのクリームみたいだ、と思った。それと同時に、また彼女が恨めしそうに唸る。彼はそれに気づいて、少し笑った。

「おなか減ったね」
「聞こえた」

私の手をぱっと放して、準太はざばっと水から上がる。それから犬みたいに体全体を揺らして水気を飛ばそうとするから、私は慌ててさっきまでいた日陰に避難しようと走り出す。彼はそれに気づいて、面白がって追いかける。きらきら光る水滴が散って、それが眩しすぎて目に染みた。泣きたくなる。彼は私を本気で捕まえる気なんてない。

少しすると飽きたのか、彼は走るのを止め、ちょっと待ってて、と言って更衣室に消えていった。一人取り残された私は、自分の額に浮き出た汗を拭って、日陰に蹲る。なんだかぽっかり穴が開いたみたいな胸のあたりをさする。背中にもつるりと汗が滑っていくのを感じた。

いつからだろう。彼を単なる幼馴染と思えなくなったのは。友情や家族愛に近いものを抱いていた相手に、自分だけを見てほしいとか、触れたいとか、触れられたいとか。そんな傲慢な気持ちを持ち始めた自分が、ずいぶんと汚れてしまったような気がして、苦しい。その感情は、恋と呼ぶにはあまりにも生々しくて。

もう一度水際まで寄って行って、今度はサンダルを脱いでスカートを捲りながら、スタート台に腰かける。水のなかに足を突っ込むと、ひんやりとした心地よさと、塩素のつんとした匂いのアンバランスさに苦い笑いが込み上げた。さっき準太が散らしたきらきらは、夏の強い日差しにすっかり蒸発してなくなってしまっていた。爪先でぱしゃぱしゃと水を弄ぶと、なんだか纏わりつくもの全てから、爪先だけは自由になれた気がした。

どうして私だけじゃだめなんだろう。陸の上でも自由に泳いでいってしまう準太に、わたしはいつかおいて行かれてしまう。その腕に、その脚に、纏わりついて、縋り付いて離さずに泣けば、彼は私のものになるのか。そう思ったが、どうせそんなこと、私にはできない。彼がいなくなってしまえば、私は陸の上だって、水の中だって、息の一つもできないのに。

も入ればよかったのに」

真っ白なタオルで、髪の毛をがしがし拭きながら、着替え終わって更衣室から出てきた準太が、いたずらっぽくそう言った。それから私の背中に手をつき、突き落とす真似をする。私はそれに慌てたフリをして、彼の腕にしがみ付いた。今度は一緒に泳ごうな。私の目を見て準太が言う。私はしがみ付く力を少しだけ強くして、曖昧に頷いた。

息ができない。









近すぎることが苦しいことも(2016.01.31)



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