リモコンを忙しなく操作しながら、飲みかけのビールを口に運ぶ。今日は面白そうな番組はやってなさそうだなあ。残り少なくなったビールの缶を持ったまま、クッションを枕にソファへ横になった。一人暮らしの部屋に置くには、ぎりぎり二人が座れるサイズのソファが精いっぱいで、寝転がるにしても、足なんか絶対伸ばせないが、私はこのソファをとても気に入っていた。白や茶色といったオーソドックスな色の家具たちのなかで、真っ赤なこのソファはよく映える。

行儀悪く寝転がったままビールを口に運ぶと、テレビのCMみたいにぐびりと喉が鳴って、それがあまりに小気味良い音だったから、調子に乗ってそのまま飲み干してしまった。机の上には、明らかにゆで過ぎた枝豆たちが、まだこんもりと残っている。追加のビールは冷蔵庫のなかにあるはずだから、今から立ち上がって取りに行けばいいだけの話だが、何かが私に怠けろという命令でも出しているかのように、億劫で体が動かない。

テレビの中では、大学で話題になっていたイケメン俳優主演の連続ドラマの何話目かが始まっていたが、1話目から見ていない私としては、今更真剣に見る気も起きなくて、机の上のリモコンに手を伸ばして電源ボタンを押した。それからそのまま体をずらし、テレビのリモコンのそのまた向こうにあるi-podを指先で引きずって引き寄せた。適当に選曲して再生ボタンを押すと、bluetoothで繋げたスピーカーから、最近フランシスから教えてもらったロックバンドの曲が流れだした。


「フランシスがロックとは意外な組み合わせだね」
「何?お兄さんは優雅にクラシックとか聞いてそうなイメージってこと?ちゃんったら、そんなに褒められるとお兄さん照れちゃうなぁ。あ、ご褒美ほしいの?」

彼は勝手に話を進めて、勝手にご褒美とやらをくれるつもりになっているようで、慣れた手つきで隣に座る私の腰に手を回しながら、んーっと唇を突き出してきた。私もその顔に、慣れた手つきで腰に回された手を払い落とし、今借りたCDを押し付けて、彼とCDジャケットとのキスを見届けた。

フランシスとはドイツ文学の試験で、いまと同じように隣に座ったときに知り合った。ドイツ文学の教授は、大学でも変わり者で有名な人だった。自分の研究に熱心すぎて、試験の採点や生徒の評価といったものをとことんさぼりたいらしく、講義の出欠を取らないことはもちろん、試験中に答えを囁いてくれるので、できる限り怠けたい健全な生徒たちからは絶大な人気を誇っていた。

私もフランシスも、ご多分に漏れず、極めて標準的な精神を持った大学生だったので、当然のことながらドイツ文学の講義をとり、1、2回出席したきり、何もせずに試験に挑むという暴挙に及んでいた。しかし、その年のドイツ文学の試験は、最悪なことに、教授が研究会出席のために不在で、いつもの囁きを聞くことができない事態に陥っていた。その代わり試験前の最終講義の際に、試験はなんでも持ち込み可かつ何ページ目から出題します、といった大ヒントが出されていたらしい。しかし、最終講義すらすっ飛ばした私たちは、そんなことになっているとは露とも知らず、試験日当日を迎えていた。

人の好さそうな白髪ぽっちゃりの教授の顔ではなく、いかにもバイトっぽい大学院生の顔を拝むことになり、青い顔をする私の隣で、フランシスも大げさに頭を抱えていた。そのオーバーリアクションに目を奪われていた私と、隣から視線を感じた彼と、互いに目が合って、その日の試験を諦めようとそのまま目で会話した。それから一緒に席を立って、カフェで小一時間愚痴に花を咲かせた、というのが、私たちの出会いだ。

「いや、盛り上がってるとこ悪いんだけど、私の中でフランシスはアニソンです。いかにもアニソンの似合う男です」

え。フランシスは図星をつかれたのか、今度は残念そうに唇を尖らせた。その顔に私がまたCDを押し付けようとしたら、彼は慌てて席を立ち、あぁお兄さんそういえば教授に呼び出されてるんだった!、といかにも白々しく、私に背を向けた。その背中に、ありがと、と彼のキスマークのついたCDを持ちながら言うと、彼はぱっと振り向いて、お得意の綺麗なウィンクを見せた。ちなみにそれ、ギルちゃんのおすすめだから。そう言って、それからすぐに踵を返して、早足で立ち去って行った。用があるというのは本当らしい。

フランシスから借りたCDは、なかなかどうして趣味が良く、もう一つの理由を含めて、私の最近の通学のお供となっていた。朝はぎりぎりまで寝ていたい派の私は、家賃が多少高くても、大学から徒歩15分圏内にあるこの部屋をいたく気に入っているが、この曲を聞いていると、もう少し大学が遠くてもいいかな、と思える程度にはまっていた。


中身のもうないビール缶の淵を口でくわえながら、音楽に合わせて鼻歌を歌っていると、不意にスマホの着信音と微かな振動を感じた。ん?そういえば寝転がるまで手元に置いていたスマホは、あれからどこにやったっけ。重い体を起き上がらせ、くわえていたビール缶を机の上に置いて、後ろ手にソファの上に手を滑らせる。身を起こしたことで、聞こえてくる着信音と振動が大きくなったから、どうやらソファの近くにあることは間違いないようだ。スピーカーから聞こえてくるロックに紛れて、機械的な電子音が鳴り響く。

あ。ようやくクッションの下にスマホを見つけたと思ったら、ちょうど着信は切れてしまったところだった。小さく舌打ちをして、スマホのロック画面を解除すると、不在着信履歴に表示された名前は思いがけない人だった。ギルベルトくん。それに驚きすぎて、つい発信をタッチしまい、慌てて切断のマークを連打する。心の準備が全然できていない。

こんな時間にかけてくるなんて、フランシスか気の置けない女友達数人くらいしか思い浮かばなくて、スマホを探している最中は、まーあとでかけ直せばいいかー、なんて悠長に考えていたのに。まさかギルベルトくんからだったとは。不在着信履歴の最新1件の画面を眺めたまま、しばし固まっていると、再度スマホが震えながら電子音を奏でだした。

「もしもし?」
「あ、ちゃん?」

画面にフランシスの文字が映っていたので、先ほどまでの動揺は霧散してしまい、必要以上に冷静な声が出た。彼は少し不服そうに、なんか冷たくなーい?と言った。電話の向こうがざわついている。外で飲んでて、なんとなくかけた、という感じだろうか。フランシスは厄介な酔い方をするやつじゃないから、そのまま会話を続ける。

「どしたの?」
「んー、俺の愛しのちゃんが何してるかな、と思って」
「はいはい。相変わらず楽しく酔ってるみたいねー」
「あ、分かる?お兄さん愛を感じちゃうなぁ」

今日は本当にずいぶん酔っているようだ。フランシスのふにゃふにゃした笑い声の向こうで、アントーニョくんらしき声が聞こえた気がして、どきりとした。いつものメンバーでつるんでいるのかもしれない。

「ところでさ、さっき電話かかってこなかった?」
「え?」
「ギルちゃんだよ、ギルちゃん」
「ギルベルトくんそこにいるの?」
「うん、いるよー。なんかギルちゃんがさぁ、ちゃんと飲みたいって言うから、自分で誘いなよって言ったんだけど、そしたら真っ赤な顔してスマホ片手に店出てったのに、さっき明らかにしょんぼりして戻ってきてさー。今隣ですごいビールあおってるよー。ちゃん何言ったの?」

電話の向こうで顔も見えないのに、彼のにやついた顔がありありと目に浮かんだ。ばーか!そのままぶちっと一方的に通話を切ると、不在着信履歴から、ギルベルトくんの番号を呼び出した。ひとつ深呼吸して、通話のマークをクリックしようとしたとき、また画面はフランシスの名前を映し出す。

「もー!うるさいな!」
「え、あの、?」

うわ。ギルベルトくんだ。予想外の相手の声が耳元で響いて、さっき自分が口にした言葉を反芻して泣きたくなった。それと同時に、フランシスに対するさらなる怒りがふつふつと湧き上がる。とはいえ、今はそんなことを考えている場合じゃない。

「え、あ、ギルベルトくん?わ、なんかごめん」
「いや、いいけど。というか、俺がフランシスのからかけてんのが悪いよな」

えーっと、とギルベルトくんが口ごもると、静かになったせいで、向こう側でフランシスとアントーニョくんの笑い声が聞こえてきた。そのまま耳を澄ましていると、一旦スマホを遠ざけたのか、お前らちょっと黙れ!とギルベルトくんが怒鳴る声が遠くの方で聞こえた。

「あ、悪い。えっと、今どこにいんの?」
「家だよ。ビール飲んでだらだらしてたとこ」
「そうか。あー・・・じゃあ、暇なら飲みに来ねえ?」
「え、はい、行きます、行かせて頂きます!」

食い気味にそう言うと、ギルベルトくんはぶはっと吹きだした。それから一呼吸置いて、待ってると言った。その声が、思いのほか柔らかかったから、電話を切ったあと当然のように私が赤面してしまったのは、仕方のないことなのだ。

ソファから飛び起きて上着を羽織り、家を飛び出す。スマホに送られてきたお店のURLを検索しながら、あとで着信履歴を保存する方法を検索しようなんて、気持ち悪いことを思った。








仲の良い悪友たちを書きたかっただけ状態(2016.02.01)



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